力のダイナミクス ー должен, надо, мочь

1. 概観

文法は1つだけではない。学校で習う文法や参考書の文法は標準的なものだが、それ以外にも言語には様々なアプローチや切り口がある。ここで取り上げる力のダイナミクス(Force Dynamics, FD)は、2つのモノの力学的な関係を通して世界を意味づける言語モデルである。具体的には力の行使力に対する障害物障害物の除去といった観点からことばの意味を考える。英語ではこのモデルを用いてcan, may must, have toなど助動詞の意味分析が行われてきた。そこで、ロシア語のモダリティにもこの方法を適用してみたい。記述の対象となるのはдолжен, надо, мочьの3つのモダリティ述語で、特にその多義性や否定文に注意を向ける。

①力のダイナミクスとはーその基本的な考え方
  (1) Сергей должен покинуть страну.
    (セルゲイは国を去らなければならない)
долженの主語には行為に対する志向がないとみなされる。つまり、セルゲイは自ら進んで国を去ることを選択はしないという想定があり、その想定にもとづいて、話し手や法律などの「力」が彼を行為へと向かわせる。долженの基本的用法は(2)(3)のように定式化できるだろう。(Сергейとстрануは省略。従来の標準的な説明を併記する。)
  (2) должен покинуть「去るよう強制力を行使する(去らなければならない)」<義務>
  (3) не должен покидать(= должен не покидать)「去らないよう強制力を行使する(去ってはいけない)」<禁止>
ここで重要なのは、否定文では統語構造と意味構造が一致しないという点である。неは動詞にかかるが(=動詞の意味を否定するが)、通常モダリティ述語の前に置かれる。このような現象はдолжен, надо, следуетなど強制力の意味が顕著なモダリティ語に見られる。

  (4) Сергею надо/нужно покинуть страну.
    (セルゲイは国を去らなければならない)

надоの基本的意味はдолжен同様、強制力の行使である。しかしながら、義務(должен)と必要性(надо)では力の性格が異なる。долженの力は外からの圧力であるが、надоの力は主語に内在する何か、あるいは現実の状況や実生活の要求である。従って、долженほど強制力は強くない。(1)では法律やモラルがセルゲイを行為に向かわせる力であった。これに対し、(4)では彼を行為に駆り立てるのは、彼の個人的事情であるかもしれない。人間の内的要求(~する必要がある)は欲求(~したい)につながるだけに、надоの意味構造は複雑である。
  (5) надо покинуть「去るよう強制力を行使する(去らなければならない)」<必要>
  (6) не надо покидать a.「去るように強制はしない(去らなくてもよい)」<不必要>
               b.= надо не покидать「去らないよう強制力を行使する(去ってはいけない)」<禁止>

   (7) Сергей может покинуть страну.
    (セルゲイは国を去ることができる)
セルゲイにとって国を離れることは本来的に利益であり、もし彼が国を去ることを選択すれば、その障害となるものはないと想定する。мочьは(潜在的な)障害を取り除いて行為の遂行を助ける力である。強制力ほど強いものではない。
   (8)  может покинуть「去ることに障害はない(去ることができる、去ってもよい)」<能力、可能、許可>
   (9)  может покидать「去ることに障害はない(去ってもよい)」<許可>
  (10) не может покинуть「去ることに障害がある(去ることができない)」<不可能>
  (11) не может покидать 「去ることに障害がある(去ってはいけない)」<不許可>
  (12) может не покидать「去らなくても支障がない(去らなくてもよい)」<許可、不必要>

②基本領域から推論領域へ
強制力の行使や障害の不在という概念がスキーマとして捉えられると、メタファー的写像によって意味変化が生じる。その際重要なことは、より具体的な領域(=直接的な経験領域、つまり社会的物理的な領域)の理解を通して、より抽象的な領域の理解が構造化されるということである。
  (13) Сергей должен покинуть страну.
     (セルゲイは国を去るにちがいない)
долженにおいては、強制力の行使「~しなければならない」という積極的な力が推論領域に拡大されて、日本語の「~にちがいない、~のはずだ」に相当する新しい意味が生まれる。その基本的用法は(14)(15)に示す通り。долженはどのような意味においても、否定形はне долженである。
  (14) должен покинуть「何らかの根拠が、(セルゲイが)国を去ると結論づけることを強制する(去るにちがいない)」
  (15) не должен покинуть「去らないと結論づけることを強制する(去るはずがない)」

  (16) Сергей может покинуть страну.
     (セルゲイは国を去るかもしれない)
一方、мочьにおいては、障害の不在「~できる、~してもよい」という消極的な力が推論領域に写像されると、「~かもしれない」という弱い推論に相当する意味が現れる。
  (17) может покинуть「国を去ると結論づけることを妨げない(去るかもしれない)」
  (18) не может покинуть / может не покинуть「去らないと結論づけることを妨げない(去らないだろう、去らないかもしれない、去らないのではないか)」

推論的意味のдолжен, мочьは動詞にかかるのではなく、「セルゲイが国を去る」という命題全体に関係する。それゆえ、(13)(16)は(19)(20)のように挿入句を用いた文に書き換えることができる。
  (19) Сергей, должно быть, покинет страну.
     (セルゲイはきっと国を離れるよ)
  (20) Сергей, может быть, покинет страну.
     (セルゲイは国を離れるかもね)
(19)(20)は話し手の主観が際立つ表現形式である。なお、надоには推論的意味はない。

③肯定文と否定文の基本的な型
ここまでの観察をもとに、行為が1回の場合の肯定、否定、完了/不完了動詞の組み合わせを表にしてみよう。例としてприехатьを用いる。次の点に留意してほしい。
 ・долженの強制力は強い。それが肯定、否定の意味に反映される。
 ・надоの強制力はдолженほど強くない。それが否定の意味の複雑さに反映される。詳細はнадоの項参照のこと。
 ・мочьの意味は「制約がないこと、障害を取り除く」である。そのため許可との相性が良い。мочьが許可の意味で用いられるとき、動詞は否定の場合が不完了、肯定の場合でも不完了動詞が多い。
 ・不必要、不許可、禁止は行為の存在否定につながるので、動詞は不完了。
 ・推量(蓋然性)を表す場合は、肯定、否定とも完了動詞が用いられる。


должен приехать[完](義務:来なければならない)
не должен приезжать[不完](禁止:来てはいけない、来るべきではない)
должен приехать[完](推量:来るにちがいない)
не должен приехать([完](推量:来るはずがない)


может приехать[完](能力、可能、許可:来ることができる、来てもよい)
не может приехать[完](能力の欠如、不可能:来ることができない)
может приезжать[不完](許可:来てもよい)
не может приезжать[不完](不許可:来てはダメ、容認できない)
может не приезжать[不完](許可、不必要:来なくてもよい)
может приехать[完](推量:来るかもしれない)
не может приехать / может не приехать[完](推量:来ないかもしれない)

надо приехать[完](必要:来なければならない)
не надо приезжать[不完](a.不必要:来なくてもよい  b.禁止:来てはいけない)

2.ДОЛЖЕН

2.1 基本領域(社会物理的領域)
上で述べたように、долженにおいては、事象や行為を引き起こす要因は主語の外側にある。
  (21) Каждый гражданин должен защищать свою Родину.
     (国民一人一人が祖国を守る義務がある)
(21)では、法律やモラルなど第3者的な権力あるいは話し手が、国民に対して祖国を守るという行為へ向かわせる社会物理的な力になっている。次の(22)(23)でもそれぞれ成り行きや状況、約束が一種の強制力として働いている。
  (22) Обстоятельства сложились так, что мы должны были уехать.
     (帰国せざるを得ない状況になった)
  (23) Я должна туда поехать, я обещала.
     (約束したのでそこへ行かなくてはならない)
「祖国を守る」「帰国する」「そこへ行く」は本来的にー モラルの観点ではなく ー主語の利益ではないので、主語は行為を志向しないと考えてよいだろう。しかしながら、否定文では逆に主語は行為の遂行に傾く。例えば、Сегодня ты не должен ехать「今日は出かけてはいけない」では相手は「行く」という行為を望んでいて、その行為を選択するかもしれないという想定がある。しかし、それは相手にとって、あるいは話し手にとって望ましくないことなので、話し手はその行為の遂行を阻止しようとする。つまり、долженは肯定であれ、否定であれ、主語の意向に逆らう力の行使を表す。このように、モダリティとしてのдолженの基本的な意味は強制力である。
このことは形容詞述語обязанと比較してみればよく分かる。обязанとдолженはほぼ同意語で、ともに義務という強制力の行使を表すが、その否定形は同じではない。Ты не обязан ехать「行かなくてもよい」ではнеがобязанにかかってその強制力を打ち消すのに対し、Ты не должен ехатьではнеはдолженではなく、事実上ехатьにかかるので(=Ты должен не ехать「行かないことが義務である」)、долженの「力」は消されることなく維持されるのである。次の用例を参照のこと。
  (24) Ты ведь у него уже не работаешь, ты не обязан по первому звонку бежать к нему.
     (もう彼のもとで働いていないのだから、呼び出しがかかってもすぐに駆けつけなくてもいいよ)
  (25) Ты не должен ничего скрывать.(=Ты должен ничего не скрывать.)
     (何も隠してはいけない)
  (26) Автомобили не должны отравлять воздух выхлопами.
     (自動車は排気ガスで大気を汚染してはならない)

2.2 推論領域
долженの積極的な強制力は物理的な領域にとどまらず、推論の領域に拡大する。次の文はその典型的な例である。
  (27) Он должен скoро вернуться.
     (彼はじきに戻らなければならない / 彼はまもなく戻ってくるはずだ)
この文はカッコ内に示したように、2通りの解釈が可能である。долженを物理的領域に関係づければ義務の解釈になり、推論の領域に関係づければ蓋然性の解釈になる。後者の場合、つまり蓋然性の読みでは、問題になっているのは話し手の判断であり、その結論づけに作用する力は根拠、データ、前提である。上の文は「彼がまもなく戻る」と結論づけるための強い根拠(=強制力)があると解釈でき、その意味で基本的な社会物理領域の強制力が推論領域にマッピングされたと考えることができる。推論的用法のдолженは動詞にかかるのではなく、命題全体にかかるので、(27)はДолжно быть, он скоро вернётсяと言い換えることができる。
以下、具体的な事例を挙げる。一般的に言って、主語が有生(人間)で動詞が意志や意図を表す場合、話し手の主観的意味が強くなる傾向がある(28)。これに対し、主語が無生物の場合は、客観的で命題の真偽判断に傾くようだ(30)(31)(32)。
  (28) Вражьего отряда не было видно: он скрылся в лощине, но вот-вот должен был появиться опять.
     (敵の部隊は見えなかった。低地に身を隠していたが、今にもまた現れるにちがいなかった)
  (29) Поскольку Зина у вас, то и Алиса должна быть у вас.
     (ジーナがあなたのところにいるのだから、アリサもあなたのところにいるはず)
  (30) При падении с такой высоты стакан должен разбиться.
     (そんなに高いところから落としたら、コップは割れてしまう)
  (31) При падении с такой высоты стакан должен был разбиться, но не разбился.
     (そんなに高いところから落としたらコップは割れてしまうはずだが、割れなかった)
  (32) Затмение должно наступить в три часа.
     (日食は3時に始まる予定だ)
(33)から(35)は否定文の事例。
  (33) ― Боюсь, Андрюша простудится.
     ― Он не должен простудиться. Он тепло одет.
     (「アンドリューシャは風邪をひくんじゃないかしら」「大丈夫、ひかないよ。ちゃんと着込んでるから」)
  (34) ― По-моему, Яков опоздает на поезд.
     ― Он не должен опоздать. Он человек точный.
     (「ヤコフは列車に遅れるんじゃないかな」「遅れるわけないよ。きちんとした男だ」)
  (35) ― Думаю, что погода изменится.
     ― Вряд ли. Ветра нет. Не должна измениться.
     (「天気が変わるね」「まさか!風が出てない。変わるはずないよ」)

3.НАДО

3.1 社会物理的領域
繰り返しになるが、должен, обязанでは行為の遂行を必要と考える人間(第一に話し手)や法律、モラルなど外的要因が主語に対する圧力として働く。そのため強制力は積極的で捉えやすい。これに対し、надо (нужно, нуждаться) は、基本的に人間の内的要求や現実そのものから生まれる要求に対応するので、行為者に対して働く強制力はдолженほど際立っていない。
  (36) Вам надо отдохнуть.
     (休んだほうがいいですよ)
  (37) Мы нуждаемся в современном оборудовании.
     (近代的な設備が必要だ)
  (38) Надо, чтобы искусство воспитывало людей.
     (芸術は人を育てていかねばならない)
(36)は心身の状態が休むことを要求し、(37)(38)は現実の状況がしかるべき対策を取ることを要求する。何らかの用事など、これからやらなければならないことを述べる場合に もнадоが用いられる。
  (39) ― Ты домой? ― Нет, мне надо зайти в магазин.
     (「帰るの?」「いや、買い物があるんだ」)
人間の内的要求は、欠けているものを満たしたいという欲求をはらんでいる(買い物をする必要がある→買い物をしたい)。それゆえ、надоにおける力のダイナミクスは複雑になるが、その複雑さがよく表れているのが否定文である(次節3.2参照)。

義務と必要性、つまり外圧と内的要求は区別しにくい。それゆえ、долженとнадоのどちらを用いても可能な場合は多いが、正しい選択が求められる場合もある。
  (40) Если женщина способна делать так называемую мужскую работу, значит, *ей нужно / она должна её делать.
     (もし女性がいわゆる男の仕事をやる能力があるなら、やらなければならない/やるべきである)(*ей нужноは不可)
(40)は女性の地位に関する考え方が圧力として働いているので、должнаが正しい。

3.2 не надоの多義性
従来の文法ではне надоには不必要と禁止の2つの意味があると説明されている。不必要はнадоの強制力が完全に打ち消されている場合であり、禁止はそのような強制力が完全に保持されている場合を指す。(禁止の解釈では、не надо Хの意味構造はнадо не Хとなるので、надоはнеの支配を受けない。)しかしながら、実際の用法を見ると、不必要や禁止といった両極端の意味だけでなく、その中間の段階で解釈されることが多い。そのためより細かい意味区分が望ましいと思われる。以下、не надоの具体的な用例を見てみよう。
  (41) Вам не надо ехать. Всё и так устроилось.
     (行かなくてもいいですよ。すべてけりがつきましたから)[行きたくなければ無理して行くことはないと言っている。相手を制止しているわけではない。強制力はゼロ。]
  (42) Вам не надо ехать. Это займёт слишком много времени.
     (行くのはむだ。時間の浪費です)[行くつもりの相手に対して、あるいはそのように想定して、時間がかかり過ぎるから行くのはやめなさいと相手を制止している。しかし強くはない。]
  (43) Дела ещё не закончены, пока вам не надо уезжать.
     (まだ終わってないのだから帰ってはいけません)[相手は帰りたそう、あるいはそれを想定しての発言。強制力は大。]
  (44) Не надо брать с собой вещи. Они вам будут мешать.
     (荷物は持っていかないほうがいいですよ。後で邪魔になりますから)[荷物を持っていこうとする相手に対し、あるいはそれを想定しての忠告。強制力は中ぐらい。]
  (45) Не надо брать с собой вещи. Их потом привезут.
     (荷物は持っていかなくてもいいんですよ。後で送ってくれますから)[荷物を持っていくべきか迷っている相手に対し、あるいはそれを想定しての発言。強制力はゼロ。]
  (46) Не надо никому об этом рассказывать.
     (誰にも話しちゃダメ)[誰でも秘密は話したい、だから・・・強制力は大。]
  (47) Когда они поняли, что не надо ссориться по пустякам, дело у них пошло на лад. 
     (些細なことでけんかするのは無意味だと悟ってからは、うまく行くようになった)[人はつまらないことでよく口論する。強制力は中ぐらい。]
  (48) Честные не лгут, когда не надо (Чехов).
     (正直者は嘘をついてはいけないときには嘘はつかない)[не надо (лгать) は嘘をつくべきではない(недопустимо)という意味で、強制力は大。]
(41)ー(48)の例からわかるように、не надоの解釈にはコンテクストの理解が重要になる。さらに、これらの例に見られる主語の志向性と行使される力の強弱に着目すると、не надоの意味は大体4つの段階に分けることができる。(49)はそれをрассказывать の例で示したもの。
  (49) не надо рассказывать
       a.「(話したくなければ)話さなくてもよい」<不必要>
       b.「(話したいかもしれないが)話してもむだです」<無意味>
       c.「(話したくても)話さないほうがよい。話すべきでない」<忠告、警告>
       d.「(話したくても)絶対に話してはいけない」<禁止、強い制止>
上に示した分類では、aからdに行くに従ってнадоの強制力が大きくなることがわかる(話さなくてもよい<話すのはむだ<話すべきではない<話してはいけない)。おおざっぱではあるが、文の解釈や翻訳にとっては目安となるだろう。

4.МОЧЬ

4.1 社会物理的領域
мочь は行為実現の可能性を主語の内的および外的要因に関係づけて表す動詞で、多義性が特徴である。
①能力
能力とは主語の内的資質であり、主として体力、知力、精神力を指す。
  (50) Я могу поднять штангу весом в 100 кг.
     (私は100キロのバーベルを持ち上げられる)<体力>
  (51) Я могу решить такую задачу без подготовки.
     (そんな問題すぐに解ける)<知力>
多くの行為はその実現達成に体力、知力、精神力など様々な能力を同時に必要とする。
  (52) Я могу сидеть целыми часами над книгами.
     (私は長時間読書ができる)
  (53) Я могу переплыть Волгу.
     (私はボルガ川を泳いで渡れる)

②状況的可能性と許可
主語が行為を遂行するためには、それに必要な能力を備えていなければならないが、多くの場合、能力だけでなく、行為に伴う外的な要因も行為遂行の重要な条件である。その際、話し手の関心がそのような外的な要因に向けられると、主語(動作主)の能力は単なる前提に過ぎなくなる。例えば、Она может есть чёрную икру каждый деньでは、話し手は彼女の食べる能力に言及しているのではない。彼女の内的資質は当然の前提である。話し手が言わんとしていることは、彼女が毎日キャビアを食べられるのは経済的に余裕があるとか、キャビアの加工工場に勤めているとか、そういった要因のおかげであるということだろう。主語の外側の要因が行為遂行の条件として捉えられる場合を状況的可能性と呼ぶ。さらに、状況的可能性は、話し手の権力や法律など社会的力が関与する許可の意味に発展する。

мочьの基本的意味は能力、状況的可能性(以後、単に可能と呼ぶ)、許可の3つの意味と考えてよいだろう。冒頭の概観で示したように、モダリティ述語の用法にはアスペクト(完了・不完了動詞)が深く関わっている。その点を考慮すると、能力、可能、許可の区別は必須である。

4.2 мочьの多義性
мочь の多義性の特徴は、その意味が能力なのか可能なのか、あるいは許可なのか、コンテクストがあってもしばしば特定できないことにある。例えば、Он может приехать сюдаは、運転できる(能力)、クルマを持っている、あるいは仕事が休み(可能)、外出してよいという許可が出た(許可)など様々な解釈が可能であり、さらに、これらの意味が単独ではなく、重なり合うこともある。典型的な例を示そう。
  (54) Выздоравливающий мог теперь ходить по палате.
     (患者は病室の中を歩けるようになった)
  (55) Ждать больше нечего, он уже не может приехать.
     (これ以上待ってもしょうがない。彼はもう来ないよ)
(54)では患者は歩けるほどに回復したのか、歩いてもよいという許可が出たのか、あるいは両方の意味で用いられているのか曖昧である。また、(55)は「もう来ないだろう」という話し手の推量に「もう来ることができない」という可能性の否定が加わっているように思える(後続の動詞が完了動詞であることに注意)。(нечего = не надо「むだである」。)このように、能力、可能、推量など様々な意味が重なる可能性に注目して、それらの意味を取り囲むより大きなスキーマを想定するならば、それは障害や制約の不在であるというのがFDの考え方である。スキーマの共通性は意味の曖昧さを生む。

障害の不在とはどのようなものだろうか。主語には行為への志向があり、もし主語がその行為を選択しさえすれば実現する。つまり、障害となる要因は取り除かれている(Он может приехать/приезжать)。一方、否定文は何らかの障害があるために行為を選択しても実現しないことを表す(Он не может приехать/приезжать)。мочь の意味を障害の不在という否定的な概念で定義することには確かに違和感があるが、ここでは定義の問題には触れないことにする。力と障害物のモデルにメリットがあるとすれば、それは従来の説明をより一般化するのに役立つということだろう。モダリティ語の意味は可能、必要、義務、不可避など様々な意味カテゴリーで説明されるが、FDでは力を行使する/しない、障害がある/ないといったシンプルな対立で説明することができる。例えば、不可能、禁止、不許可は「力や障害物による阻止」でまとめられるし(56)(57)、可能、許可、不必要は「障害の不在」に関係づけることができる(58)(59)。
  (56) Дела ещё не закончены, пока вы не можете уезжать.
  (57) Дела ещё не закончены, пока вы не должны уезжать.
     (仕事はまだ終わってないのだから、帰ってはいけません)
  (58) Вам не надо рано вставать.
  (59) Вы можете рано не вставать.
     (早起きしなくてもよい)
(56)と(57)は大体同じことを述べているし、(58)と(59)も事実上同じ意味である。このように、力のダイナミクスはдолжен, надо, мочьを相関的に記述するのに有効である。また、нельзяとможноという対照的なことばに関しても同様な特徴づけが可能である。不可能や禁止を表すнельзяは動作主の進行を妨げて行為を阻止する専用のことばであり、可能や許可を表すможноは障害を排除して動作主の進行を助ける専用のことばである。このように考えれば、*не можноが不可であることが首尾よく説明できる。

4.3 推論領域
долженで見たように、現実世界における社会的物理的な力は心的世界における前提や根拠に対応する。долженでは前提や根拠は何らかの結論を下すための強い力として働くが、мочьではそれらは障害を取り除く力である。つまり、何らかの結論を下すのを妨げない、あるいは何らかの結論を下すのを助ける力であるとみなされる。
  (60) Он может умереть, он потерял много крови.
     (彼は出血多量で死ぬかもしれない)
(60)は彼が死ぬと結論づけるのに支障はないと解釈できる。後半部分が判断の根拠である。話し手の判断が客観的なのか、あるいは主観的なのかはさまざまであるが、主語が有生で意志動詞の場合、話し手の主観性が強くなり、主語が無生で無意志動詞の場合、客観的な描写になりやすい。
  (61) Она может приехать в любую минуту.
     (彼女は今にも到着しそうだ)
  (62) На Марсе в каких-то формах может существовать жизнь.
     (火星には何らかの生命体が存在する可能性がある)
(62)の例からわかるように、可能性と蓋然性の境界はあいまいになる。

動詞が状態動詞でなければ、肯定文は<мочь+完了動詞>、否定文は<не мочь+完了動詞、あるいはмочь не+完了動詞>が一般的である。以下、用例を参照のこと。
  (63) К ночи может быть буря, поднялся ветер.
     (風が出てきたから、夜半には嵐になるかもしれない)
  (64) Не ставь чашку на край стола, она может разбиться.
     (テーブルの端にカップを置かないでね。割れちゃうから)
  (65) Убери письмо, он может прочитать его, если увидит.
     (手紙をしまいなさい。彼が見たら読まれてしまうよ)
  (66) Тише, вас могут услышать.
     (静かに!聞かれちゃうよ)
  (67) Бабушка может нас не услышать, говори громче.
     (おばあさんは聞こえないかもしれないから、もっと大きな声で!)
  (68) Сегодня дождь не может пойти.
     (今日は雨が降らないかもね)
  (69) Война может начаться, в зоне конфликта сосредоточены большие силы.
     (戦争が始まるかもしれない。紛争地域には大規模な軍隊が集結している)
  (70) Война может не начаться, если сторонам удастся договориться.
     (当事国間で合意が成立すれば、戦争は回避されるかもしれない)

4.4  まとめの問題 ― 用法を考えながら正しく解釈する
  (71) Я могу не рассказывать, так как вы всё уже знаете.
  (72) Я не могу рассказывать, так как меня просили держать всё в секрете.
  (73) Я могу не рассказать завтра, лучше я расскажу сейчас.

  (74) Вы можете не покупать цветов, мы уже купили.
  (75) Вы можете не купить цветов, все цветочные магазины уже закрыты.

  (76) Вы можете входить, вас ждут.
  (77) Вы можете войти, дверь не заперта.

  (78) Он не может умереть, он ещё не выполнил своего жизненного предназначения.
  (79) Он может умереть, он потерял много крови.
  (80) Он может не умереть, если немедленно сделать переливание крови.
  (81) Он может не умирать, его честь спасена.

<答え>
 (71)もうすべてご存じですから、話さなくてもよいでしょう。(不必要)
 (72)口外するなと言われているので、話すわけにはまいりません。(不許可)
 (73)明日は話せないかもしれませんので、今話しておきます。(推論(+不可能))
 (74)花は買わなくてもいいですよ。もう買いましたから。(不必要)
 (75)花屋はもうみんな閉まっていますから、買えないかもしれませんよ。(推論(+不可能))
 (76)入ってもいいですよ。皆が待っています。(許可)
 (77)ドアは開いてますから入れますよ。(可能)
 (78)彼は人生の目的を果たしていないので、まだ死ねない。(不可能)
 (79)彼は出血多量で死ぬかもしれない。(推量)
 (80)至急輸血をすれば、助かる/死なないかもしれない(推量)
 (81)死ぬ必要はない、名誉は守られたんだから。(不必要)

参考文献
Talmy, Leonard. 1988. Force Dynamics in Language and Cognition. Cognitive Science 12: pp. 49-100.
Sweetser, Eve E. 1990. From Etymology to Pragmatics: Metaphorical and Cultural Aspects of Semantic Structure. Cambridge University Press.